あなたは「楠瀬喜多さん」という人物をご存知でしょうか。
2019年10月18日、楠瀬喜多さんの生誕183周年を記念して、
Googleロゴが楠瀬喜多さんの顔写真に変更されていました。
楠瀬喜多さんは何をした人物なのでしょうか?
Googleロゴには、投票権のようなものを持つ女性の絵が描かれています。
このブログでは楠瀬喜多さんが気になる方に、
楠瀬喜多さんのプロフィールや活動内容などその軌跡、歴史を分かりやすくご紹介していきます!
楠瀬喜多さんのことを知りたい方は、ぜひ読み進めていただけたらと思います!
楠瀬喜多さんとは誰?プロフィールについて
まず初めに楠瀬喜多さんのプロフィールについてご紹介していきます。
名前:楠瀬喜多(くすのせきた)
職業:日本の婦人運動家
出身:高知県
年齢:84歳(1920年10月18日没)
生年月日:1836年10月18日
“婦人運動家”という言葉があります。
これは歴史上、明治、大正期に盛んになった“日本の女性解放運動”のことで、楠瀬喜多さんがその「日本初の女性参政権」と言われています。
【女性参政権発祥の地】高知県の楠瀬喜多(1836~1920年)が女性参政権運動をおこし、1880年代の一時期、県下区町村会の一部議員選挙で、女性戸主の投票権を認めさせました。「安倍改憲阻止へ熱気/女性参政権発祥の地・高知 日本母親大会開催」 https://t.co/3Y7M5mkmwq pic.twitter.com/CsndGEaz7Q
— 吉岡正史 (@masafumi_yoshi) August 28, 2018
情報にもある通り、楠瀬喜多さんは婦人運動の前線に立ち、女性戸主の投票権を認めさせました。
楠瀬喜多さんに関して、講談という形で分かりやすく説明している動画がありますので興味のある方はぜひご覧ください。
楠瀬喜多さん 顔画像、写真
次に楠瀬喜多さんの顔画像や写真を見ていきたいと思います。
Googleロゴが生誕183周年を記念して「楠瀬喜多」さんに変更。
謎の文字。そして中国風?『1878年、戸主として納税しているのにも関わらず、女性であることを理由に投票が認められなかった。投票はかなわなかったものの、その後も女性解放運動を続け「民権ばあさん」として知られた。』 pic.twitter.com/3Vppi9cQ18
— wakisaka (@yasuharuuuuuu) October 17, 2019
楠瀬喜多さん 活動内容(民権ばあさんと呼ばれる理由)
それでは楠瀬喜多さんの活動内容や偉業について調べていきたいと思います。
先にもご紹介した通り、戸主として納税しているにも拘らず“女性”というだけで投票権が認められていない時代。
義務と権利が共存するべきだという信念の元、税金を滞納してまで高知県庁へ抗議文を提出。拒否されるもその後も女性解放運動が続けられ、楠瀬喜多さんの名は「民権ばあさん」と呼ばれるようになりました。
日経朝刊35p、楠瀬 喜多 不平等の疑問 とことん。土佐藩生まれ。藩の剣術指南役の楠瀬 実に嫁ぎ、死別後、高知唐人町の戸主に。投票権に関する訴えを起こして後は、立志社の演説会に参加。高知県令も屈して、女性初の投票権を与えた。取得後も民権集会で演説、84歳で天寿全うするまで活動。
— だるま社長 (@vamdaruma) November 8, 2014
まさに不平等への疑問から起きた勇気ある行動。
まさにこれが楠瀬喜多さんの偉業といっても過言ではない行うではないでしょうか。
楠瀬喜多さんのネット、ツイッター上での反応
楠瀬喜多さんのネット、ツイッター上での反応について見ていきたいと思います。
左派のタレント候補が高知の自由民権資料館で女性参政権に関するツイートしてるんだが、楠瀬喜多の話は女性参政権というよりも、男女に関係なく納税者の権利の話だと思うんだよね。当時男性にしか参政権が無かったことは確かだが、楠瀬さんが求めたのは納税者の権利であって女性参政権ではないと思う
— ワタセユウヤ (@yuyawatase) September 30, 2018
高知は自由民権運動が盛んだった地。「民権ばあさん」と言われた、楠瀬喜多さんが、夫が亡くなった後、戸主になり、「納税しているのに選挙権がないのはおかしい」と主張。その後、日本で初めて女性参政権を実現した地であります。町のいたる所に「日本女子教育の碑」などが建てられてました。
— 新婦人京都北支部 (@njwa_kyotokita) September 3, 2018
1878年に高知県の上町で楠瀬喜多という女性が参政権を認められて、その後に隣町でも認められましたがw RT @SUSHImedia2017: ? 別に大日本帝国憲法(明治憲法)のどこにも「国政の選挙権は男性だけに認める」とは書いてなかったのでは??? https://t.co/tdeDZAofyZ
— 寄り道 (@edgeofstreet918) August 21, 2017
1878年に土佐の楠瀬喜多は「権利と義務は両立すべき道理」と訴えたが、これは「選挙権を認めずに課税だけはするのか」の意だ。
国が「権利を主張する前に義務を果たせ」など国民に説くとは、まったく逆立ちした話だ。「義務を課そうとする前にみなの権利を認め尊重擁護せよ」が正しい。
— 福井雅敏@名古屋守山 (@hukuiP) April 21, 2017
調べていて知ったが、高知県(当時は土佐藩)生まれの婦人運動家。楠瀬喜多(くすのせ きた) 通称「民権ばあさん」といふ方がおられたのか。自由民権は高知県から起きたらしい。早く長州藩の悪将軍家を成敗せねば (^-^)/
— 監視委員長 (@kansi_iintyou) March 10, 2017
母「父上は大阪に出張らしい」
ワイ(大阪…?大阪といえば大阪事件…大井憲太郎と景山英子が朝鮮の内政改革を意図した事件…景山英子と言えば岸田俊子に憧れて民権運動を始めたんだよな…同時代の楠瀬喜多は民権ばあさんと呼ばれてたしか土佐で活躍したんだっけ…?後で女性史確認しなきゃな…)— スミケン (@baitosensiman) February 24, 2017
というか、楠瀬喜多を知ったのが昨年末の四国大冒険(何)高知の章、高知の投げやりな廃屋資料館()で見た土佐の偉人~プロ野球編~だったんだよぉ!
楠瀬喜多と交流のある設定の主役5人は植木枝盛、馬場辰猪、中江兆民、世代下って幸徳秋水、奥宮健之で。— ひじりんぬ (@sainthijirin) February 17, 2017
関係ないが、楠瀬喜多を事実上の主人公にした大河をとは昨年末から割と言い続けている。
主題は土佐の自由民権運動で表向きの主役は植木枝盛や幸徳秋水ら。彼らと交流があった設定にし、ナレーション兼任で、当時の自由民権運動家といえども女性参政権に熱心な人がいないことを浮き彫りにするのも狙い— ひじりんぬ (@sainthijirin) February 17, 2017
昔っからそういう所のあったクソガキだったんでさ。へへ。
いやでも他の班も原子爆弾の構造であるとか原理であるとかの発表してたところがあったような…まあ、権威主義を極端に嫌う県民性なんでしょうかネ。教科書無償化運動であるとか明治の楠瀬喜多であるとか。
最近はそこまででもないらしいが(— 【忙殺】【木枷屋】尾長亭仙鯨 (@THE_SENGEI) August 7, 2018
1878年(明治11年)の区会議員選挙で、「戸主として納税しているのに、女だから選挙権がないというのはおかしい。」と楠瀬喜多という一人の婦人が高知県に対して抗議した。しかし、県には受け入れてもらえず、喜多は内務省に訴えた。
— おさるのジョージ (@SoCoLimeShot) July 26, 2018
ジョン万や牧野富太郎博士は、
ジブリかディズニーがいい。
世界中の子ども達に見てもらいたい。
朝ドラは2020年、
没後100年を迎える民権ばあさん、
楠瀬喜多さんでお願いしたい。— Asa (@Asa07150682) July 4, 2018
まとめ
楠瀬喜多さんについてご紹介してきました。
女性というだけで投票権がないという疑問。
日本の婦人運動家として活動された高知出身の方であればご存知の方も多いのではないでしょうか。
そんな楠瀬喜多生誕 183 周年を記念してGoogleロゴが楠瀬さんに変更されました。
改めて楠瀬さんの功績や活動について敬意を表したいと思います。